ゾウキン係を選ぶかホウキ係を選ぶドライバーか

千葉県の軽貨物 配送ドライバー募集 千葉県のチャーター便ならシフタープロ

千葉県で運送チャーター便を請け負う日本シフター産業シフタープロ便の着眼大局と着手小局。

統計的なことはわかりませんが、私は、一般的な人よりも若い年齢で会社役員となり、海外企業との取引や小さな会社ですが法人をいくつか起業し、現在、注力する今の仕事とは別の内容で、自分のやり方が日本全国で通用するのかチャレンジすることを長年してきました。

北海道から沖縄までのお客様から相談を受けて会話し、もちろん、上場会社の役員から中小企業の社長役員などまで、20年を振り返ると本当に数えきれない会社や担当者、沢山の方にアドバイスしたり、地方問わずお客様と会話してきました。

そう、今とは違うSNSのない時代です。

過去、森内閣の時代あたり、IT革命という名の言葉が流行りました。

当時、零細企業が全国に向けて直接で商品を売るなど至難の技で、通信販売してもどうやってお金を回収するのか、回収のリスクはどうなのか、電子商取引とは果たして何なのか、という感じの時代です。

そんな時代でしたが、当時、中小企業庁が主催するフォーラムから声がかかり、私のビジネスモデルでの取り組みを数千名の来場者へ発表する機会などもありましたが、もしかしたら、私は、人よりも努力家だったのかも?と感じるように過去を振り返ることがあります。

さらに昔、私は、私が小学六年生のとき、そう背番号5の役割で、小学生最期の市内バスケットボール大会、1ゴール差で負けたときの悔しさが、私の心に、とても大きく残っています。

最後のクオーター、ギリギリで逆転され、残り数秒のとき、私は味方の背番号7のフォワードに向けて、思い切りゴール下からボールを投げましたが、うまく、パスをできず、ボールだけが相手ゴールの方向に勢いよく転がって、試合は終了しました。 それがチームとしてバスケットをした最後の試合です。

もちろん、バスケットボールは好きだっただけでプロでも何でもありません。ただ、今でも、その一瞬のシーンを覚えています。 昔の勉強は忘れてますが、その記憶が強いのが何故かはわかりません。

私は学校へ登校するときにも、怒られながら通学路をバスケットボールでドリブルをして通ってましたので、当時、バスケが本当に好きだったのかも知れません。

当時、飽きたことありませんでした。 しかしながら、プロのバスケットを観てもあまり関心はありませんので、単なる人生の想い出なのかも知れません。

ということもありますが、私は仕事での「パス」を難しく考える癖がはあります。

人にアドバイスするときや、人から受けた質問に対する答え方も、1だけ聞かれても10を答えようとします。

もし、小学生の頃、最後のバスケット試合で逆転優勝や引き分けになっていたら、私の癖は今と違うのかも知れません。

と感じつつ、軽貨物車両で荷物を運び、丁寧な納品を心がけるようにしています。

「ホウキ係をいつも選んで、雑巾係をやりたくなかった時代では学べないこと」を、社会の仕事で学んでいくのが重要な気が少しします。

人より先にいくか、人に合わせるか。絶妙なセンスを身につけたいものです。

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