高齢者ドライバーになる軽貨物ドライバーは身体能力の衰えでなく「ありがとう」「ごめんなさい」が言えないことで社会人失格となり仕事人生は終わる。
最低限の礼儀。
業務請負で働く軽貨物ドライバーには年齢制限が無い、とまでは言わないものの70歳というシニア層ドライバーに近づく60から69歳の軽貨物ドライバーは身体能力の衰えではなく「ありがとう」「ごめんなさい」が言えないようでは軽貨物ドライバーとしての仕事人生は早期に終焉する。
私自身は軽貨物のミドル層ドライバーの1人として「ありがとう」「ごめんなさい」は事業と仕事で意識を高めている二言である。
私は軽貨物運送事業では荷主企業や物流会社やトラック運送会社との付き合いが大半なので同業の軽貨物配送会社との付き合いは増やさない方針であり同業他社の現状はよく分からないが、私の軽配送仕事周りや周囲関係者でも60歳を過ぎてシニア層ドライバーになっていく人間でも「ありがとう」「ごめんなさい」といった最低限のしつけである礼儀ができていない社会人失格と言える軽貨物ドライバーがいたり見たりもしてきた。
- ありがとうを言わない。
- ごめんなさいを言わない。
周囲に悪いことをしたらごめんなさい、周囲から何かしてもらったときはありがとう、その二言ができもせず何かをしてもらっても自分のことを語ろうとしたり周囲のことを語ろうとする人間は軽貨物ドライバーとしてのコミュニティ能力改善が強く求められる。
しつけでもあり園児でもできることだが高齢者に近づいている軽貨物ドライバーで「ありがとう」「ごめんなさい」ができないならばそれは残念な大人であり、当然、軽貨物ドライバーとして仕事人生の終焉が近い。
何かをしてもらったときにありがとうと園児でもできる最低限の礼儀ができないシニア層の軽貨物ドライバーは確実に社会人失格であり、クライアントや周囲関係者から駄目なドライバーだと指を差されるのも当然なのだが誰もそんな人間に教育することはしないので淘汰されて仕事はクビとなるのだ。
勉強ができなくても高学歴が無くても身体と精神と神経が元気で礼儀があれば軽貨物ドライバーとしての仕事を満喫できるのは事実。
だが70歳というシニア層ドライバーになっていく60から69歳の軽貨物ドライバーは自身が高齢者なんだと自覚して体や脳の働きが既に鈍っている現実を人一倍に再認識しなければならない。
さらに、それはこれから衰えるスピードが日に日に早くなると思え、と言われる厳しい立場であることも肝に銘じて気を引き締めて仕事をすべきとなる。
シニア層になると何かしら勝ち負けの優劣で人間関係を考える人間も少なくないだろう。自分の人生が他人と比べてどうだったのかなどと卑屈になる部分も人にはあるだろう。
だが、そうして自分のことしか考えられない人間となるわけだが視野の狭い人間に陥っていることにすら気が付いていない軽貨物ドライバーもいたりする。
- 聞くのが恥ずかしい。
- 伝えるのが恥ずかしい。
- 批判を受け止められない。
- 言い訳してしまう。
信頼とお金にゆとりがあれば働く意識は高めやすいのも事実。ゆとりが無ければ自分のことしか考えることができなくなるのも事実。