自営で働く軽貨物ドライバーの、肉体的な負荷、神経的な負荷、精神的な負荷、拘束時間の長さ、その感じ方は人それぞれで違う。
まあ、そんなことは必要最低限のお金を持つことができていればどうってことない話である。
無論、資産家なら軽貨物ドライバーの事業や仕事などする筈がない。
どんな職でも同様だが、仕事が肉体的にきついとか精神的にきついとかは個人事業や会社経営では通用しないこと。自営や経営の覚悟のないダメな軽貨物ドライバーが口にするセリフと思ってよい。
そもそも、何をしてそれを回避するか。何をしてそれを克服するか。
自分自身に仕事での相応の能力や実力や才覚がないならば必要最低限のお金を持てるように成長するしか肉体的や精神的のキツさを和らげる術はない。
1,000円でもゆとりがあればよい。10,000円でもゆとりがあればよい。100,000円でもゆとりがあればよい。1,000,000円でもゆとりがあればいい。
仕事上の能力や実力や才覚を鍛えればお金を人よりも多く稼げるようになるが、それだけでなく同時に肉体的なキツさや精神的なキツさも和らいでいくこととなる。
疲れないためのお金を疲れて貯めてお金を使う。
この世の中、お金が貯まらない理由の断トツは収入が少ないからと言われている。次に、必要な支出が多い、計画性がない、収入が不安定、借金の返済、庶民としてお金が貯まらないのはこの5つ理由となる。
- 収入が少ない
- 必要な支出が多い
- 計画性がない
- 収入が不安定
- 借金の返済
この状況で何をすれば良いのか。
- 収入を増やす
- 必要な支出を減らす
- 計画的になる
- 収入を安定させる
- 借金をなくす
覚悟があればできること。
覚悟がなければ人任せや運任せになる。
日本経済バブル期の終焉頃、都内の飲み屋をハシゴして夜の銀座で時間を過ごして酒に酔いながら深夜に乗るタクシーで首都高を走る車内からの風景はトラックとタクシーが物凄いスピードでビュンビュンと走っていた記憶が妙に残っていて脳裏に焼きついている。
丁々発止、いけいけどんどん。
教えてもらうことではない帝王学そのものの風景を深夜の高速道路に感じていた。
昭和から平成の時代、スーツを着て仕事が終われば酒を飲んで深夜の首都高をタクシー後部座席から見る世界、令和の時代に作業着で深夜の首都高を軽貨物車で走りながら見て感じとる世界の差は面白いほどに違う。
時代は昭和から平成、少し調べてみると昭和65年にあたる平成2年の貨物自動車運送事業法施行(物流二法)で一般物自動車運送事業は免許制から許可制になったらしい。もちろん当時は運送業のそんな出来事はこれっぽっちも関心はない。
その頃合いは日本経済バブルの崩壊。黄金狂乱の輝かしいディスコ時代終焉の裏側でも物流はもちろんだが存在していたわけだ。
その時代は、今、多重下請け運送問題である荷物を運ばない運送会社が明確に誕生した頃でもあり、利用運送と運送取次が貨物運送取扱事業法で定められた頃合いでもある。
そして日本全体は世界での国民幸福度をどんどん下げ、昭和78年にあたる平成15年に貨物自動車運送事業法改正により軽貨物運送業(貨物軽自動車運送業)という立場が誕生。
そう考えると軽貨物ドライバー業者には歴史すらがないわけだが、当時に悪徳商法で名をはせた軽貨物会社なんかは今でも社名を変えて存在しているからゾッとする。
その後も日本は世界での国民幸福度を40位台から60位台へと下げながら、そして昭和100年。
今では街中や高速道路で黒ナンバーの軽貨物車を見ない日はない。
運賃ピンハネ目的で大手宅配会社から仕事を流してもらって多重下請けで仕事を個人ドライバーにさせている軽貨物会社が茶髪自由とか学歴不問とか採用ハードルをどんどん下げて質を下げて、そして街中にウヨウヨと増えまくった軽貨物運送業界も安全対策の強化で昭和100年で制度改正となる。
令和バブルは崩壊間近と思われるがそれによって日本の国民幸福度も更にそのまま下がり続けるだろう。
景気後退の中で軽貨物運送業はどのように役割が変化していくのか。
数ではなく技術と質の配送ニーズはこれから高まるであろう。